【沼津市】高尾山古墳”国史跡指定記念”連続講座が10月14日に沼津市立図書館で開催されました
2024年10月14日(月・祝)、沼津市立図書館視聴覚ホールで、高尾山古墳連続講座の第2回目「東日本古墳時代の幕開けと高尾山古墳」が行われました。沼津市を中心に、多くの考古学愛好者が訪れ、200名を超える来場者で賑わいました。
この連続講座は、2024年8月24日に第1回が開かれており、「国史跡答申記念!」として行われました。しかし、今回の講座は10月11日に高尾山古墳が正式に国の史跡として指定されたことを受け、「国史跡指定記念」として開催されました。令和6年10月11日付の官報(号外 第238号)にて国史跡として正式に指定されたこのニュースは、講座の冒頭でも触れられ、参加者からは大きな拍手が巻き起こりました。
今回の講座では、2名の講師が招かれ、それぞれの視点から「東日本古墳文化の幕開けと高尾山古墳」について講演しました。最初に講演を行ったのは、明治大学の若狭徹教授で、「関東における古墳時代の始まりと高尾山古墳」をテーマに話しました。若狭教授は、弥生時代後期に起こった環境変動が東海地方に大きな影響を与え、ジメジメと湿った土地から、関東以北への移住が進んだことを説明しました。また、高尾山古墳の被葬者が、東海西部と関東を結ぶ重要な役割を担っていたことや、広域経済圏と安全保障圏を形作る一端を担ったことについても言及しました。
次に登壇したのは、東海大学の北條芳隆教授で、「前方後方墳の系譜と東駿河湾の大型壺」をテーマに講演しました。北條教授は、伊豆地域で採れる「カワゴ平パミス」を練り込んで作られた大廊型壺が、稲籾の海上輸送に適していることを示した上で、この壺が沼津を含む東海地方東部から相模川沿岸、東京湾の東側沿岸部、荒川流域、利根川上流域に広がっていることを紹介しました。稲籾は当時の貨幣と考えられ、高尾山古墳もこの経済圏の一部だったようです。
2回の連続講座には静岡県外から参加された方もおりました。年明けに予定されている「シンポジウム〜保存と沼津南一色線の挑戦〜」も、より大きな注目が集まりそうです。
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